発達するということ|おひさま 子ども・ファミリークリニック|神戸芸術センターの小児科・児童精神科

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発達するということ|おひさま 子ども・ファミリークリニック|神戸芸術センターの小児科・児童精神科

発達するということ

当クリニックで医師や公認心理師が助言する内容は、ほとんどが「発達」に関わることです。

身体的な健康を小児科医の立場で助言するときには身体発達の観点から、発達障害や不登校・睡眠障害に対しての助言には精神発達の観点を、常に意識するようにしています。

「発達」するときになにが起きているか、知る機会はあまりないですよね。

私も小児科医になって現場で沢山の子どもたちの成長を見守り、親になって子育てに苦悩し、研究者として発達の本質を探る経験でようやくイメージがついてきたところです。

科学研究に携わってきて何度も実感したのですが、どんな物事も、見方を変えるとたくさんの説明の仕方がでてきます。

どれか一つだけが絶対的な正解ということはほとんどありません。

ですので、この記事で書いている内容も、「発達」の解釈の仕方の一つだと思ってください。

 

「発達」に不可欠なのが「経験」です。

「経験」には三つのステップがあると思います。

 

一つ目は、どんな「経験」だったか認識するステップです。

目で見て感じられる情報、耳で聞いて感じられる情報、触って感じられる情報、におい、味など五感、それらの組み合わせで成り立つ空気感を含めた情報を受け取ることができるかどうかは大事なスタートです。

もしボーっとしていて、そういった情報を感じ取れなければ、経験として認識できないわけです。

 

二つ目は、似通った「経験」から共通している部分をみつけて、「経験」の本質を見つけるステップです。

「経験」はよほどのことがない限り、毎度少しずつ内容が違っています。でも共通している部分もあります。

その共通している部分をみつけることで、すべての「経験」の詳細を記憶しておかなくても、本質部分だけをしっかり記憶していくことで沢山の経験を覚えて、今後に生かす材料にできます。

 

三つ目は、「経験」の本質から、最適な自分の反応を選んで実行するステップです。

本質を上手に見極められたら、より良い反応をえらぶことができます。

反応しないという選択肢もあります。

 

三つ目の自分の反応にさらに周囲が反応を返してくれれば、一つ目の「経験」を認識するステップに戻って、経験を積み重ねていく流れがつながります。この繰り返しで、もっと自分らしく、周囲とも折り合いをつけながら生きていける本質のとらえ方や、反応の仕方を修正していくわけです。

 

こうやって自分なりに最適化された認識・分析・行動のパターンを修正しながらアップデートしていくことが「発達」という現象だと思っています。

 

ところで、いろんな環境、得られやすい経験の偏りがあっても、成人するころにはお互い分かり合えるようになることが多いのは、不思議に思いませんか?

そして、同じ環境で同じように育てたにもかかわらず、発達障害の特性があるお子さんは兄弟と全然違うように育ってしまうことも不思議に思いませんか?

 

私は、「発達」の三つのステップのどこかに標準的な成長をするお子さんと違う点があることで、「発達」の仕方が変わるのだと思っています。

 

一つ目のステップ、認識することに関わるのは先ほども書いたように五感がベースです。

目でみて感じる、耳で音を聞く、においを感じる、触って感触を知る、痛みを感じるなどは、みんな同じように感じているはずだと無意識に思ってしまうものです。

だって、自分の感じ方以外の感じ方をしている人がいるなんて、考えれば可能性としては理解できても、実感としては知らないことですから、なにかきっかけがなければ想像もできませんよね?

ほとんどの人は遺伝子情報に基づいてだいたい同じ感度を持った目や耳などのセンサーが形成されているので、目で感じられる情報や聞こえやすい音の情報などはだいたい共通しているはずなんです。ところが、時に、ほかの人と感じやすい情報がちがうセンサーをもって生まれてしまう人がいてもおかしくありません。

相当に精度コントロールされている工場で大量生産しているときですら、一部、設計通りにできない製品が紛れ込みます。

ましては非常に複雑な設計図(遺伝情報)に基づいて生まれてくる生き物である我々は、設計図通り寸部違わずに同じ感じ方の人間が量産されているはずがないわけです。

同じ経験をしても、ほかの人と違う「経験」の認識をしたら、見つける本質も、その後の反応も違ってしまうでしょう。

このようなセンサーの感度が違うことが、発達に特性があるお子さんの成長が独特なこと、変わった理解の仕方、変わった行動の根底にある可能性があります。

そして、標準的な発達をしてきた人からみると、その子の感じ方が経験もないし想像の範囲外にあるため、どうしてそう思ったのか理解できず、少数派である発達の特性をもつお子さんの努力不足や理解力のなさなどが理由だと解釈して、お互いにぶつかる理由になります。

 

二つ目の認識するステップでは、どんなすれ違いが生まれるのでしょうか?

標準的な発達をする方の場合、わざわざ教えられなくても、繰り返し目にする情報に自然と注目して学習します。

ところが、発達に特性があるお子さんは、ほかの子と同じ情報を認識していても、注意がひかれる部分が独特で、そこを本質だと取り違えることがあります。こだわりとよばれるものですね。

ここでも、標準的な発達をする人が自然とたどり着く注目点に自力でたどり着かない子がいるとは想像もしませんから、保護者や支援者のみなさんは『なぜこんなこともわからないのか・気づけないのか』と思ってしまうわけです。

 

三つ目の反応するステップでのつまづきとしてあるのが、初めてのことに尻込みして行動できないことが挙げられます。

単純に怖がり屋さんということもありますし、初めてのことは見通しがつかないので不安が異常につよくなり動けないこともあります。

過去の経験でトラウマになっていることだから動けないこともあります。

特に初めてのことで見通しがつかないので不安が強いことについては、なかなか理解が難しいかもしれません。

みんな日々初めてのことに直面し、不安を抱えることはあるし、なんとか気持ちの折り合いをつけてチャレンジしていると、多くの人が考えていると思います。

発達に特性のあるお子さんの異常な不安は

・目隠しされて絶叫マシンに乗せられているレベルの見通しのつかなさ(何がありうるかも全く想像できず、いつ終わるかもわからない地獄に思えてしまう)

・頑張ってチャレンジしたら次々にまた予測のつかない状況が発生することだけは理解しているので、いつまで頑張ればいいのかわからない絶望感

・困っても「助けて」と声をかけることが難しいので、最初からチャレンジしない選択に固執する

のような背景があるように思います。

私たちが、不安を抱えてもなんとか気持ちに折り合いをつけて進むことができるのは、頼れる親や先生・仲間がいる、初めてのことではあっても何となく過去の経験から朧気でも予想ができる、などがあるからだと思います。

 

いろいろと細かいことも書きましたが、このように発達するためのステップでうまくいかないところがあるのであれば、どうやってそのステップをクリアしやすくするのかお手伝いするのが、児童精神科医療であり、児童発達支援事業という福祉事業になります。

また、自分の成長で経験した方法が通用せず苦悩している保護者のみなさんに、別の観点で考えると本人の理解が深まることや、今までとは違うかかわり方を試すことで本人の力が生かしやすくなることがあることも、助言できるといいなと思っています。

 

発達障害の有無にかかわらず、お子様の今後の成長・発達を見守る際に参考になればと思っています。